2013年02月03日

菅館跡(兵庫県遺跡番号060078)

◎遺跡の名称 菅館跡(かんやかたあと・すがやかたあと)
◎所在地 洲本市安乎町山田原上ノ山
◎創築年代 不明
◎城館主 菅氏
◎占地状態 丘陵端
◎囲廓状態 多廓段階
◎残存遺構 廓 土塁 空堀
◎城跡関係地名(小字)城山 
◎登場文献 淡路常盤草 淡路草 味地草 胞洲誌

◎現状
県道468号線と神戸淡路鳴門道の交差する西詰より南に200mのところを西に曲がると突き当りが当遺跡である。現在は三段に分かれた削平地で構成されており、また、中段の北側には堀切とみられる遺構がありその手前には土塁が残存している。
また、最上段は比較的狭く、現在観音堂がある。そこからは、裏の十郎山に登れる道が続いている。文献によると十郎山上に城塞(といっても物見櫓のようなものであろう)があったようである。残念ながら十郎山には登ることはしなかったが近いうちにぜひ登ってみたい。 

◎歴史
室町時代の末、淡路の水軍として勢力を誇った菅一族の館である。菅遠江守・菅越後守(菅達長・通称・菅平右衛門)親子が在住した。越後守は淡路十人衆にも数えられ、淡路の地方豪族としては安宅氏滅亡後も歴史に名を刻んでいる。また現在も淡路島内には菅(かん・すが)姓は多く、家紋が「丸に梅鉢」の家が多いと聞く。菅原道真を祖とすると言われる菅氏であるので、なるほど梅の紋なのであろう。

ちなみに出典は明らかではないが菅直人元首相もこの梅鉢紋のようだ。

◎菅達長 菅越後守 通称 菅平右衛門について
菅達長は信長・秀吉・家康の時代を生き抜いていたようである。達長は淡路十人衆の一人であり淡路島の地方豪族としては安宅氏全盛のころそれに次ぐ勢力を誇っていたものと思われる。天正4年(1576年)織田信長に追われた足利義昭を擁する毛利輝元の軍勢が淡路岩屋城(俎板山城)を攻撃し守備していた信長配下の安宅信康は敗れ俎板山城は毛利の手に落ちた。当時の淡路の土豪は信長につくか毛利につくか迷っていたがこのとき菅達長だけが毛利方に味方をし、天正8年(1580年)まで続いた信長による石山本願寺攻めの折も毛利方に味方をしている。

天正9年(1581年)の11月中旬、信長の四国征伐の緒として、淡路に羽柴秀吉が池田元助と共に攻め入ってきた。わずか1日で岩屋城は落城し、国衆のほとんど滅ぼされたが達長はこれを逃れて潜伏した。

天正10年(1582年)6月2日、本能寺の変で織田信長が死ぬと、毛利と結んでいた達長は手勢を率い洲本城を奪取した。しかしわずか数日後秀吉の中国大返しの折、洲本の廣田蔵之丞らに奪還されている(明石より出された秀吉の文書が広田家に残っている。「広田家文書・洲本市指定有形文化財」)その後達長は四国へ渡り、長宗我部配下の香宗我部親泰の与力になっている。

天正12年(1584年)小牧・長久手の戦いに乗じ和歌山の雑賀衆と結び、秀吉配下の中村一氏が守る寡兵の岸和田城へ攻め入ったが翌年敗退。達長は主君の長宗我部氏とともに秀吉に降伏している。

その後、達長は秀吉の元で水軍を率いることになり、九州征伐、小田原征伐、文禄・慶長の役などに水軍として参加している。慶長の役では舟奉行として250人を率いて出陣し、漆川梁海戦で功をあげた。その功もあり秀吉より伊予に15000石を知行され、秀吉崩御の際遺品の長光の太刀を賜ったとある(太閤記)

関ヶ原の合戦では九鬼嘉隆とともに西軍に味方し戦後所領は没収となるが、当時親徳川で幅を利かせていた藤堂高虎に5000石で拾われたが、蟄居謹慎の身であったようである。

その十数年後の慶長19年(1614年)大坂冬の陣の講和の後、達長は藤堂の命によって大阪城の外堀の一部を埋め立てていたが、まったくはかどらず藤堂高虎と口論になり12月26日切腹となった。どうやら徳川方の理不尽なやり方に腹を立てていたようである。長年にわたり信長・秀吉・家康の三傑と戦いおそらく秀吉を惚れこんでいた老将はここを死に場所と心得たのであろうか。

なお菅達長の墓はこの館の南側の真淨寺にある。

◎追記
2002年の大阪城の発掘調査によって堀跡より木簡が出土している。その木簡には表に「菅平右衛門様  ・・・赤右衛門」、裏は「鴨・・・?衛門」とある。陣中見舞いで誰かが達長に鴨を送であろうか。切腹後400年近く後に因縁のある大阪城の堀から木簡が出土したのも興味深い事実である。

私的には菅達長(菅平右衛門)はお気に入りの武将でありもっと評価されるべき人物であると思う。


参考史料
兵庫県の中世城館・荘園遺跡 昭和57年 兵庫県教育委員会
ここに人あり淡路人物誌 平成11年 田村昭治氏
郷土の城ものがたり 昭和47年 兵庫県学校厚生会
辛酉夜話・辛酉年(大正十年・1921年)生れの作るホームページ の淡路・菅水軍の歴史










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菅館跡の所在場所 もうちょっと拡大したかったけど内陸部なのでわかり辛いと思いやや縮尺小さ目。 淡路縦貫道安乎バス停のすぐ南側です。

P1000847.jpg

縦貫道東側より遠景を撮影。茂みの左側に館跡はあります。 

P1000836.jpg

最も高い廓跡より下段の廓を撮影。左側の茂みに土塁が残ります。

P1000832.jpg

土塁の状況  

P1000829.jpg

土塁の状況 欠損部は後世の破壊かな?

P1000838.jpg

土塁外側の空堀跡

posted by すわん at 22:13| Comment(0) | 淡路島のお城
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